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和文化 お知らせ

誉田屋源兵衛とは~ものづくりと想い~ 誉田屋の浴衣もご紹介

きもの永見とも交流の深い京都老舗の帯屋・誉田屋源兵衛。

今回はその歴史と魅力・誉田屋の商品(浴衣)などを特集・解説していきます。

誉田屋源兵衛とは

“帯匠” 誉田屋源兵衛(こんだやげんべえ)は創業から285年を迎える京都の老舗の帯メーカーです。

京都の老舗の多くが軒を連ねる南北の通り・室町通に店舗を構え、江戸時代中期の創業から約285年を数える帯(西陣帯)の製造販売(卸)の老舗である誉田屋源兵衛。

その10代目となる山口源兵衛氏は、家業を継いで40年。
これまで意匠、素材、コンセプトにこだわり、独特の個性を持つ工芸帯を数多く創作して来ました。

▲誉田屋源兵衛十代目 山口源兵衛氏 

1948年京都生まれ。79年山口源兵衛襲名。

ファッションブランドとのコラボによる着物制作、田中泯主演の映画『ほかいびと』の衣装製作、NHKBS「たけしアート☆ビート、帯に魂を吹き込む男」に出演、「TOYOTA86」のイメージキャラクターに採用されるなど、多彩な活動で和装文化を牽引する。

誉田屋源兵衛のものづくりへの想い

誉田屋の家訓に「計りて作らず 本物は残りて候」という言葉があります。

この家訓には

「儲けを考えていては良い物は作れない」 
「本当に良い物は時代が変わろうとも価値が高く、継承される」

という考えが込められています。その家訓通り、素材に拘り、昔からの伝統的な技法を大切にしている誉田屋源兵衛のものづくりは多くの人を惹きつけます。

誉田屋源兵衛社屋

採算や効率といったものにとらわれず、材を選び、技の限りを尽くし制作された織物達は、見るものの心をざわめかせるような作品です。

海外からも注目を集める誉田屋の「ものづくり」

誉田屋源兵衛が拘り抜いて制作した渾身の帯は用の美を超え、日本のきもの通は勿論、国内外のキュレーター・蒐集家からも注目を集め、いまや日本国内にとどまらず、世界中から注目を集めています。

グッチ・シャネルなどのハイクラスブランドとも交流が有り、ヨーロッパの多くのトップメゾンが京都の室町三条・誉田屋源兵衛本社に見学に訪れるほど。

2013年にはシャネルジャパン主催の第1回京都国際写真展が誉田屋本社にて開催され、その2年後にはシャネルジャパン社長リシャール・コラス氏との対談も果たしました。

さらに、2016年には英国立ヴィクトリア&アルバート博物館のパーマネントコレクション(永久所蔵品)となりました。

現代で作られた帯が英国国立博物館の永久所蔵品となるのはこれが初めてのことです。

誉田屋源兵衛の技術

十代目山口源兵衛はアートに造形が深く、自ら帯のデザインを手掛ける独特の美学が注目を集めTOYOTA86のイメージキャラクターにも起用されました。

誉田屋のものづくりの技術は、海外ブランドのナイキやエルメス、グッチ、シャネルなどジャンルを超えた海外のハイブランドからも注目を集めています。

誉田屋は古代織大麻布の復活など、帯や着物という枠を超えて、日本文化を伝承するものづくりに取り組まれています。

誉田屋が取り組むものづくりの一部を、いくつかご紹介します。

大麻布の復活

誉田屋と麻布研究の第一人者である吉田真一郎氏の二人が始めたのは「大麻布復活プロジェクト」。

大麻布の歴史は古く、今から遡ること約1万年前。日本列島には大麻が群生し、生活の中で広く利用されていたことが遺跡の発掘により示されています。縄文時代の遺跡から当時の大麻の編み生地と縄、時に付着した大麻の種などが出土しています。これらは、当時から大麻が生活用品・食品として幅広く用いられていたことを示しています。

また、大麻は「聖なる植物」でもあり、古来より神道の祭祀では「おおぬさ」と称され樹皮から採った革を束ねて神に捧げられていました。日常生活から神動儀式に至るまで、日本人のあらゆるシーンに欠かすことが出来ない素材だった大麻。そんな大麻布は半世紀以上にわたり「忘れさられた布」となっていました。この大麻布を現代に蘇らせたものが「麻世妙(まよたえ)」です。

「大麻布復活プロジェクト」は日本の経済産業省から助成を受け、一年に渡る研究・開発の結果、大麻100%の糸を誕生させました。2011年には大手エンターテインメント企業・エイベックス・グループが二人とともに大麻布ブランドの立ち上げを決定。開発した大麻布は「麻世妙(まよたえ)」と名付けられプロジェクトが開始しました。

それから約3年試行錯誤を経て、数百年前の大麻布を彷彿とさせる豊かな風合いを持った高品質の大麻布が出来上がりました。

2014年10月に「麻世妙」ブランドを正式に発表・スタート。三越伊勢丹ホールディングスと1年間の先行独占販売契約を結び、約30ものブランドから新素材として製品化されました。その後も、ヨージ・ヤマモト等のブランドが展開しています。

誉田屋源兵衛と蚕「小石丸」

誉田屋の日本文化を伝承するものづくりの一つに、「小石丸」の製品化が挙げられます。

小石丸とは皇室の御養蚕所でのみ育てられている蚕のことです。

小石丸は蚕の中で最も細い糸をはき、艶があって張力が強く毛羽立たない、しなやかな糸という優れた特性を持っています。

とても良質で、着心地の良い絹糸が吐き出される最高品質の絹糸ですが、一般では生産されておらず入手の難しい存在でした。

しかし、平成10年(1998年)の規制緩和により小石丸は解禁されました。
伝説の「幻の繭」が蘇ったのです。こうして一般養蚕家にも小石丸の飼育が可能となりました。

そこで製品化の門を業界に先駆けて開いたのが京都の帯問屋「誉田屋源兵衛」です。

誉田屋源兵衛は山形県の天皇賞受賞養蚕技術保持者、加藤安治氏の協力もあり財団法人大日本蚕糸会(総裁、常陸宮殿下)の承認化を得ることに成功しました。

さらに平成14年(2002年)には、赤坂の草月会館にて三笠宮妃殿下をお迎えして、「小石丸」展を開催し、そしてその「小石丸の生糸」が平成15年に日本文化デザイン賞で見事「日経MJ賞」を受賞いたしました。

誉田屋はこのようにして日本の原種の繭である小石丸の復活と継続、日本の染色技術の活性化に努めました。

▼小石丸についてはこちらの記事で詳しく説明しています。

皇后陛下がお育てになっている日本古来の幻の絹・「小石丸」前編

誉田屋源兵衛の浴衣

帯や着物などのイメージが強い誉田屋ですが、浴衣にも力を入れておられます。

妥協を許さない、こだわりの作品創りで知られる10代目「山口源兵衛」氏独自の感性が随所に盛り込まれた、芸術性の高い特選浴衣の数々は男女問わず、幅広い年齢の方々から注目を集めています。

破れ格子の浴衣

「破れ格子」というこちらのお柄は10代目山口源兵衛社長も愛用のお柄で、誉田屋といえばこの柄を連想する方も多いお柄。

芸能人の方にも誉田屋の破れ格子の浴衣を着用している方は多く、テレビで見かけたことがある方もいらっしゃるのではないのでしょうか?

モダン柄の浴衣

誉田屋の浴衣の中でも目を惹くこれらの浴衣。

赤と黒の市松模様の浴衣はお祭りの時でも、ひと目で見つけられそうな浴衣です。

黄色のイメージが強く明るさの象徴のような印象が強いひまわりをあえてモノトーン調に描いた浴衣も夏らしく、かつ他にはないモダンな雰囲気が漂っています。

色とりどりのハイヒール柄の浴衣はゆかたの定番の和柄や花柄が多い中で人目を引くこと間違いありません。


趣ある誉田屋の浴衣の数々

誉田屋の浴衣は、古典柄に現代感覚の色や素材、デザインを掛け合わせた逸品です。粋で洒落たデザインは男性女性を問わず、お召しいただけます。


また、生地にもこだわっており、綿と麻との混紡でシャリ感があり、汗をかいても肌に張り付きにくい素材となっています。

大胆でありながら趣のある通好みな誉田屋の魅力あふれる浴衣の数々は、どんな時も自分らしく、夏のお洒落を積極的に楽しみたい方にぴったりです。

他の方とは違った、ワンランク上の浴衣をお探しの方は、一度誉田屋の浴衣をご試着するのをおすすめします。

誉田屋源兵衛ときもの永見

誉田屋源兵衛ときもの永見の関係性は、6代目永見吉平(きもの永見 先代社長)と、当時30代できもの永見へ営業にいらっしゃった山口源兵衛氏の出会いから今日に到るまで深く続いています。

両社の関係性はただの仕事上のお取引にとどまらず、大変深い間柄となっています。

現社長が7代目の永見吉平を襲名する際、山口源兵衛氏が襲名披露の発起人となり大変大きな披露の場になったというエピソードは、若かりし頃の山口源兵衛氏と弊社社長永見吉平が仲睦まじく隣り合う当時の写真と共に、社内でも都度語り継がれています。

この襲名披露以後も誉田屋源兵衛社長と永見社長とのお付き合いは続き、現在も誉田屋源兵衛の一年に一度行われる1月の新作発表会が行われる次の月には、きもの永見のお客様にいち早く見て頂けるよう取り計らって頂き、大々的に誉田屋の作品の数々を展示させていただいております。

また、誉田屋の新たな企画が始動する際はきもの永見の社長も共に制作の場に伺わせてもらい、きもの永見は会社一丸となって誉田屋のものづくりへの想いを共にしています。

誉田屋源兵衛の歴史

誉田屋源兵衛の285年の歴史をまとめました。

1738年 元文年間、初代矢代庄五郎により、南矢代誉田屋創業、西陣大火災後の復興に尽力

1868年 明治元年、六代目矢代庄五郎より、京都松尾出身の山口源兵衛が七代目を継承。初代誉田屋源兵衛を名乗る。西陣帯地大元御商として「横綱」の称号を得る。

1905年 三条町下ル(現住所)の土地を購入。

1917年 大正6年、七代目誉田屋源兵衛没、八代目誉田屋源兵衛襲名、継承。

1919年 八代目が10年の歳月をかけ、自己の精励刻苦の記念碑として手掛けた現社屋完成。

1933年 昭和8年、8代目誉田屋源兵衛没。9代目誉田屋源兵衛襲名、継承。

1980年 9代目誉田屋源兵衛没、現10代目誉田屋源兵衛襲名、継承。後、帯作りに専念。

1985年 全国原始布を素材として個展を開催。以降、インド、東南アジアの野蚕糸を帯に用いる。

2002年 「かぐやこの繭小石丸展」、「誉田屋源兵衛~最高級の唐織の帯・小石丸の絹・幻の紙布~文献を元に飾る」展開催。

小石丸企画に対して、日経優秀製品・サービス賞の日経MJ賞受賞。日本の原種の繭である小石丸の復活と継続、日本の染色技術の活性化に務める

2003年 日本文化デザイン大賞受賞。「室町・桃山時代の衣装文様の意味世界」の研究会発足。

2006年 「誉田屋源兵衛の帯展-桃山時代に想う-」開催。

    東京大丸ミュージアムでコシノヒロコ、隈研吾とアートコラボレーション。

2008年 「誉田屋源兵衛270周年展」開催。純金五毛袋帯発表。

    ユナイテッドアローズとコラボレーションにより、JFWに「傾奇者達之系譜」をコレクション形式にて発表。

2013年 シャネルジャパン主催 第1回京都国際写真展を本社にて開催。

2014年 「帯匠 誉田屋源兵衛 × 画家 松井冬子展」開催。

    大麻布復活プロジェクト・「麻世妙」ブランドを発表・スタート。

    シャネルジャパン主催 第2回京都国際写真展開催。

2015年 シャネルジャパン主催 第3回京都国際写真展開催。

    シャネルジャパン社長リシャール・コラス氏と対談。

2016年 英国ヴィクトリア&アルバート博物館にパーマネントコレクションとして7作品収蔵。

2017年 ヴァンクリーフ&アーペル主催特別講演会開催。

    シャネルジャパン主催 第5回京都国際写真展開催。

2018年 「誉田屋源兵衛280周年展」開催。純金・純白金・宝招財進帯発表。

CONTACT

TEL0859-39-1234

10:00-19:00/水曜日

written by TAKAHASHI

文化学部卒業後、和文化に興味を持ち地元の歴史ある企業・きもの永見で呉服の世界へ。 日々着物のことを学びながら皆様の「分からない」にお答えしていきます。

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