きもの永見の歴史 187年の歩み② ~永選会~
弊社 永見社長の資料整理は続いています。
先日の昭和末期の展示会のあれこれをブログにアップしたのを機に社長から呼ばれました。
(過去記事はこちらからどうぞ↓)
「もっとすごいのが 出てきたぞ! 今度は永選会だ。」
永選会とは、きもの永見がお客様に最新の着物情報や話題の作品をご紹介させて頂く展示会の中で、一年の内 一番と言っても良いほど力を入れている催事なのです。
この〈永選会〉というネーミングは先代の六代目社長が名付けました。
先代社長は気の利いたネーミングがお得意だったようで 永選会の他にも
~みれん心をさらりと捨てて~ 〈美廉市〉と名付けられた展示会も永見の名物の一つです。
テーブルの上に溢れんばかりに広げられた過去の永選会 案内状の数々。
30年分以上あるでしょうか。
七代目の現社長が米子に帰ってきて永選会の企画をするようになってからの毎年の案内状…。
155周年の年には、社員全員が作文を書いたこともありました。
この年は社長(当時は専務)が米子に帰ってきて10年という節目の年でした。
京都の商社問屋で腕を磨き、米子へ戻りお店を発展させてきました。
シルクはうすがオープンした年は社員全員の署名で寄せ書きにしたものも。
永見社長の名前の吉平は代々襲名しますので、七代目の襲名披露の永選会は4週に渡り大きく開催しました。
9月といえば『永選会』というように毎年の恒例であり、永見の看板といえる展示会。
お客様に期待と感動をお届けしたい一心で、毎年の企画を続けていた社長です。
年ごとに並んだ案内状を追いながら、ヒットした企画や苦労話、そして裏話など聞かせてもらっていると他の社員ものぞきに来ます。
「お~!」「うわぁ!」と懐かしさから 声が漏れます。
江戸小紋の若手として注目されている廣瀬雄一先生をプロデュースしたり、世界に名を馳せるクリエイティブディレクターのトーマス・リッケさんがデザインし、世界最大級のインテリア・デザイン見本市であるイタリアの「ミラノサローネ」・パリの「メゾン・エ・オブジェ」(最高賞を受賞)に出品された 西陣織で特注した生地を使用した椅子を展示したこともありました。
ディオール、ヴィトンをはじめとする世界のショールームを彩る 西陣織のファブリックを紹介するために 永見社長自ら東京の有名ブランドを周り 各店舗で写真を撮ってきた年もありました。
レディ・ガガの靴のデザインをされた串野真也さん
古ーいお寺【早雲寺】の文台裂の復刻
国宝の法隆寺宝物の柄を復刻
などなど、他にもいっぱいありますが 最近のものは2年前も5年前も同じ様に蘇ります。
時系列に並べてみて 初めて「これ、○年前だったんですね~!」などと、ずいぶん月日が経っていたことに気がついたり…。
記憶に新しいところでは、光格天皇の奥様 欣子内親王がお召になった小袿のレプリカが展示されました。
ちょうど平成から令和へと元号が変わり、新しい時代の幕開けを感じていた頃、生前退位のお手本にされたとも言われる光格天皇ですが、
ここからが、永見社長のプロデュース
光格天皇のお母上様である大江磐代さまは、倉吉の出身。
大江磐代のお父上様の岩室宗賢は5代米子城主荒尾成昭の家臣であったということを家系図を作成し 見てくださる皆さまにわかりやすくして展示しました。
展示された欣子内親王の小袿を前に 社員一同も興奮したものでした。
このときには、日本海新聞社からも取材の方が来られ、翌日の新聞に大きく記事が出ました。
ズラリと並べられた案内状の中でも 一際目を引くのがこちら
六代目先代社長、七代目現社長、専務
親子三代が一緒に収まる写真
専務が米子に帰って来た年の永選会です。
この案内状だけは何部も積み上げられていました。
「3人一緒の写真は余っていても捨てられない…。」
そう社長は つぶやきます。
このとき、先代社長はすでに他界されていましたので 現実にはかなわない写真でした。
大切な資料であり、想いの深い案内状の一つだと思います。
さて、今年も9月には永選会を開催致します。
きっと今年も、例年に劣らない企画が準備されていることと思います。
なんせ、社員も楽しみにしているのですから。
ぜひ 沢山の皆さまにご覧いただけますように。
お待ちしております。
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written by A.OTA
きもの永見「美装流着付け教室」講師。 「着物でお出かけしてみたい」そんなあなたのお手伝いを致します。 着付け教室HP https://kimono-nagami.com/school/