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和文化

日本を彩った”ジャパンブルー”藍染めとは

藍染めは、日本一有名な染め物といってもあながち間違いではないほど、知らない人はいない染色なのではないでしょうか。

ジャパンブルーともいわれる深い藍色は私達の心をつかんで離しません。

藍染めとはいったいどんな染め物なのでしょうか。

今回は「藍染め」を特集していきます。

藍染めの魅力は。着物問屋・池村さんにお話を聞きました

今回、藍染めを特集するにあたり、きもの永見もお世話になっている藍染めに詳しい着物問屋・池村さんにお話を伺いました。

池村さんの勤める着物問屋ソーホーでは藍師に外山良治先生、染師に浅井正文先生を迎え、こだわりの藍染めづくりをしています。

外山良治先生は徳島県で代々蒅づくりを担う藍師をしておられ、2013年には黄綬褒章を受章されたすごい方。

染師の浅井正文先生も化学薬品を一切使わない灰汁発酵建てにこだわった染色作家さんで、50回の染めを繰り返す古典的な技法で藍染めづくりをしておられます。

すべて二人の職人によって作られ、染める回数は同じでも、色の濃さやムラ感は一つとして同じものがないのが藍染め。

また、使っていくうちに独特の深みが増し、自然と枯れていくのも自然染料の証であり、オリーワンな藍染めの魅力なのです。

枯れていく姿にも移ろいと美しさを感じる、日本ならではの感覚かもしれません。

藍染めとは

藍染めとは「藍」という植物で布などに色を染める技法、また染められた染物のことです。

藍染め

藍にはインジゴチン(インディゴ)という色素が含まれており、その色素を発色させることで青く染め上がります。

藍染めは世界中に

藍染めというと、日本の伝統技術というイメージがありますが、実は藍を染料として染め付ける技術は世界中にあります。

というのも、藍とはそれで一つの種類の植物ではなく、インジゴチンを含む植物の総称なんです。

有名なところだと、アメリカ発のジーンズはインディゴ、つまり藍で染められていますよね。

ジーンズ

日本や中国などで使われるタデ科の蓼藍(たであい)、インド原産のマメ科のインド藍、主に沖縄で使われるキツネノマゴ科の琉球藍などその種類は様々。

世界中の藍染めは、その地域や交流がある国々それぞれの藍を使って行っているのです。

日本の藍染め・阿波藍

日本においては、阿波(現在の徳島県)が蓼藍(たであい)の栽培と蒅(すくも)づくりの産地として栄てきた歴史があります。

阿波で藍の栽培が始まったのは平安時代の終わり、染料としての加工が始まったのは室町時代の終わり頃といわれています。

阿波で藍の栽培が盛んだった理由、それは阿波に流れる吉野川の性質に由来すると言われます。

蓼藍

当時の吉野川はよく氾濫し洪水が起こるため、川から水を引きにくく、稲作に向かない土地柄でした。

しかし、度々起こる洪水により、土には栄養が行き届き非常に肥沃な土に恵まれていたといいます。

栄養がたっぷりな阿波の土地は藍の栽培にうってつけだったのです。

現在の徳島県でも「藍と徳島の歴史は切っても切れない」といわれるほどその関係は密接で、2019年5月には「藍のふるさと 阿波~日本中を染め上げた至高の青を訪ねて~」として日本遺産にも登録されています。

藍のふるさと 阿波~日本中を染め上げた至高の青を訪ねて~(日本遺産ポータルサイト)

日本の藍染め・琉球藍

一方で、琉球でも日本の沖縄県になる以前から、本土とは違った独自の藍染めを行ってきました。

琉球の藍染めで使われるのは琉球藍と呼ばれる藍です。

本土の蓼藍がタデ科の一年草であるのに対し、琉球藍はキツネノマゴ科の多年草。

▼ざっくりとした「藍」の種類

藍の種類

見た目は似ているのですが、実は全く別の植物で、染め方も本土とは違う手法が取られています。

蓼藍による藍染めでは藍をホロホロとした土のような蒅(すくも)に加工して染めるのに対し、琉球藍は藍を泥状にした泥藍に加工して染めます。

紅型や芭蕉布、宮古上布など、沖縄を代表する伝統染織のほとんどに琉球藍が使われるほど、琉球の人々にとっても藍染めは欠かせない染色だといえます。

日本を象徴した「ジャパンブルー」

鮮やかな深みのあるブルー、藍染めはよく「ジャパンブルー」と呼ばれます。

はじめにこの呼び方をしたのはイギリス人化学者・ロバート・ウィリアム・アトキンソンといわれています。

藍染めが全盛期を迎えた江戸時代、藍染めはあらゆる日常用品に使われていました。

着物や浴衣、前掛けなどの衣類はもちろんのこと、のれん、足袋、手ぬぐいに風呂敷……江戸の街には藍染めの藍色が溢れていました。

のれん

明治時代初期に日本を訪れたアトキンソンは、日本の街に溢れる藍色を見て、藍を「ジャパンブルー」と表現したといいます。

その言葉は時代を超え今なお私たちの心に深く残り、海外でも「藍染め=ジャパンブルー」というイメージが広がっています。

「青は藍より出でて藍より青し」

現代日本でも使われることわざです。
ここで登場する「青」や「藍」はまさに藍染めのこと。
青い染めは植物の藍を使って染色しますが、染め上がった青は元の植物の藍よりも鮮やかな青色である様子になぞらえて「弟子が師よりもまさっていること」「元のものより優れていること」を意味します。

藍染めの効能

実は藍には美しい青の発色の他にも、防虫や消臭、抗菌などの効果があるといわれます。

そういった効果を知っていた鎌倉時代の武士たちの甲冑や肌着、江戸時代のあらゆる日用品が藍で染められたほど。

甲冑

そもそも、藍はもともと「染料」というより、薬用効果が世界中で重宝された「薬草」という側面があるのです。

日本や世界の歴史の中で、藍には解熱や解毒、食あたりなどに効果があるとされ、漢方のように扱われてきたんだそう。

また、近年の四国大学の研究では藍の葉に血糖値を下げるなどの機能が確認され、生物にとって薬となる効果があることが科学的に実証されました。

2020年7月には厚生労働省から藍の葉と茎を食用として利用することが認可され、現代でも食藍の効果が期待されています。

 四国大学が見出した藍の食用としての可能性(農林水産省HP)

「藍師」と「染師」欠かせない役割と工程

一般的な草木染めは原料の植物を煮出して色素を取り出し染料とします。

藍がほかの植物染料と違う点は、インジゴチンは水に溶けず煮出しただけでは色素が出ないことです。

藍染めが出来上がるまでには「藍師」と「染師」の両方の存在が欠かせません。

藍師とは

藍師とは、藍を水に溶かして使えるようにするまでの加工を担う職人です。

蓼藍の本場阿波(徳島)では藍師の家だけでは藍の生産が賄えないため、作物として蓼藍を育てる農家もあるんだそう。

藍師によって加工後の藍を蒅(すくも)といい、はじめの葉藍から変わってホロホロとした土のような見た目になります。

かつては流通の便利さからボール状に加工しており、藍玉(玉藍)と呼ばれたこともありました。

藍が蒅になるまで

藍を蒅にするには発酵が必要ですが、質の良い蒅を作るためには藍師の職人技が不可欠。

大まかな蒅づくりの手順は以下のとおりです。

1.葉藍を細かく刻む

一番刈りは6月下旬~7月上旬ごろ。

刈り取った藍葉をその日のうちに細かく刻みます。

2.乾燥させる

この状態ではまだ刻んだ葉藍に茎が混ざった状態ですが、茎は染めには使わないのでまず風で葉と茎を選別します。

葉藍

葉だけを選別し終えたら敷物の上に藍を並べ、約二日間乾燥させます。

この乾燥スペースを確保するための中庭とこの後の発酵の作業場となる寝床が必要な藍師の家は、広い敷地を持つ屋敷だったといいます。

現代ではより安定した作業のため乾燥機を使ったり、天日ではなく屋内乾燥をする藍師も。

乾燥を終えた葉藍はずきんという袋に入れて次の工程まで保管します。

3.寝かせる

ここからが本格的な蒅づくり、発酵の段階です。

寝床という作業場に1床あたり3,000~3,750kgの葉藍を積み、水を混ぜて1mほどの高さで四角く積み上げます。

これを「寝かせ込み」といい、以降は4,5日ごとに水をかけて混ぜ合わせて積み上げる「切り返し」の作業を繰り返します。

切り返しは約三ヶ月間続き、その間2回ほど「通し」という作業を行います。

通しは蒅がムラなく発酵するように、葉藍をふるいにかけて固まった塊を砕く作業。

そうして22~23回の切り返し、作り始めてから約100日を経てようやく蒅が完成となります。

以上の手順が蒅づくりの概要ですが、実際の作業や日取りは藍師のさじ加減で決められます。

発酵中の蒅のアンモニアの匂い、切り返しの手応え、葉藍の色など五感を全て活用して経験とそれに基づく勘で決断を下していくのです。

染師とは

染師はその名の通り、藍師が作った蒅を使って染めを行う職人です。

化学薬品の力を借りて藍を発色する「化学建て」や自然発酵を利用した「沈殿藍染め」(琉球藍染めやインドは主にこの手法)など実は様々ある藍染めの手法。

今回は「灰汁発酵建て」という化学薬品を一切使わない伝統的な手法の工程を紹介します。

蒅からで染められるまで

1.蒅を液体の染料にする

藍をためておく藍甕(あいがめ)に蒅と灰汁、石灰、酒などを入れて混ぜます。

これは藍に更に発酵を促しており、液の状態を見ながらさらに灰汁や石灰を加えて混ぜ合わせます。

(化学建てでは更なる発酵のために化学薬品や還元剤を使います)

藍甕

発酵が順調に進み液の表面に紫がかった泡が発生すると「今なら染められるよ」という合図、通称「藍の華が咲いた」状態となります。

この染液づくりの流れを「藍を建てる」といい、ここまでしてはじめて、染めの段階に取りかかれるのです。

2.染める

布や糸など染めたい物を染液に浸し、数分間浸透させます。

染液から取り出し、絞ってしばらく空気に晒すとじわりと藍色に発色してきます。

藍染めは単純に染液に浸ったところが染まるわけではなく、液に浸った部分が空気に触れて酸化することできれいに発色するのです。

さらに濃く染めたい場合は浸透と絞る工程を繰り返して、理想の色目になるまで染め続けます。

空気に触れないように覆って染めない部分を作ることで、様々な柄を作ることもできます。

藍染めの柄

 

幾度も幾度も染めることによって、引き込まれるような奥深い色合いと色落ちしにくい丈夫な藍色が出来上がるといいます。

3.洗って乾かしたら染めの完成

藍の染液は表面の「藍の華」がなくなってくると「疲れて」いる状態となり染めに適さなくなります。

ときには日本酒や焼酎を加えて元気を与えることもあるんだそう。

藍染めが美しく染まるかどうかは藍の染液のご機嫌次第だといいます。

使ったり休ませたりしながら藍のご機嫌を伺って、良い状態を保つのも染師の仕事の一つです。

藍染め2

「藍の華」の状態、染液の色や匂い、温度、味までも染師の経験と五感の手仕事で美しい藍染めが出来上がります。

藍染めの歴史

藍染めは”ジャパンブルー”と言われるほど日本人の暮らしに根付いてきました。

同時に時代とともに移り変わってきたものでもあります。

平安時代 上流階級の色

日本の藍染めの歴史は、古くは万葉集に「藍摺りの衣」が登場するほど長いといわれます。

ただ、後世で主に染めに使われた蓼藍(たであい)は中国から日本へ輸入された植物だと考えられいるので、それ以前に「藍染め」として記録されているものは日本原産の山藍(やまあい)での山藍染めであると考えられています。

山藍のアオは緑?

山藍には蓼藍のような藍の色素インジゴチンが全くなく、染めると緑系の色になるんだそう。

古来日本では青も緑もアオと呼んだことから、アオ色に染まるといわれたのかもしれません。

しかし近代になって、山藍の根を使い銅を媒染することで、青にも染められることが分かりました。

当時の山藍が青に染まったのか、緑に染まったのか、また染色方法などは推測の部分もあるというのがひとつ藍染めの歴史の面白さですね。

平安時代までの藍染めは、高貴な色として宮廷や貴族が身につけるものでした。

法隆寺や正倉院にも宝物の一つとして藍染めの布類が保管されています。

鎌倉時代~江戸時代 武家や庶民への定着

鎌倉以降、武士の時代が始まると藍染めは験担ぎをする武士たちに重用されるようになります。

黒く見えるほど濃く染めた藍染めを「褐色(かちいろ)」といい、それを「勝ち色」とかけて武具の染めなどに利用されました。

藍の持つ機能的な効果もそれを後押ししたと言えるでしょう。

さらに時代が下り江戸時代になると、藍染めは庶民に広まります。

藍の旗

高級着物から作業服まで、様々なものが藍で染められるようになったといいます。

さらに木綿の生産量が増えたことで、着物はもちろん、のれんや生活雑貨などあらゆるものに藍染めが活躍しました。

明治後期~昭和初期 藍染めの衰退

明治時代初期には国鉄や郵便局の制服にも使われるほどになった藍染め。

しかし明治時代後期になるとより安価なインド藍や、合成染料の登場により国内産の蓼藍を使った染めは激減してしまいました。

さらに昭和に入り起こったのが第二次世界大戦です。

戦時中は国内で藍の栽培自体が禁止され、江戸時代までの隆盛とは打って変わって藍の生産が途絶える寸前に陥ってしまう時期もありました。

現代 次世代への継承

現代で藍染めといえば、各地の染工場で体験型のアクティビティとして楽しめるほどメジャーな染色になりました。

日本文化を楽しむ外国人観光客もさることながら、国内の日本人旅行客にも「気軽に体験できる伝統技術」として深く根付いています。

藍染体験 藍染体験2

近代の時代背景では苦しんだ時期もあった藍染めでしたが、古くからの日本的な伝統を守っていこうという考えが広がる現代になって、再び、誰もが知る代表的な日本の伝統技法となりました。

着物などの伝統的な形であれ、洋服やインテリアなどのもっと現代的な形であれ、こうした伝統技術を忘れることなく未来へと伝えていきたいと思います。

Tシャツ

 

日本を象徴する色”ジャパンブルー”、ぜひ身にまとってみてはいかがでしょうか。

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written by ISHIKURA

歴史学科卒業後、地元の歴史ある企業・きもの永見で呉服の世界へ。 日々着物のことを学びながら皆様の「分からない」にお答えしていきます。

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