今回は、夏物の着尺地として有名な重要無形文化財、「小千谷縮」と「越後上布」について説明いたします。
目次
雪国で受け継がれる日本最古の織物
麻布の素材・「苧麻」とは
豪雪地帯の魚沼では、飛鳥、天平の時代から自生の苧麻(ちょま)という上質の麻を素材とした麻布が作られていました。苧麻は繊維長が長く吸水性と放熱性に優れた肌にとても優しい素材です。苧麻の触感はひんやりとしていて肌に張り付かずさらっとしているため、春夏の季節には着物の素材としては勿論、ファッション用素材としても重宝されております。コシが強く、通気性にも優れているので汗ばんでも肌に密着しずらい素材です。
雪国で生産される麻織物
麻織物の歴史は、正倉院には12000年前に越後から献納された麻布が保存されていたり、それよりも古い時代の機織の道具が出土していたりということからもわかります。弥生時代から約二千年の時を経て受け継がれているのが雪国で生産されている麻織物です。
豪雪地帯では半年もの間雪に閉ざされ、一切の農作業を封じられてしまう農家の副業として、糸を績み、機を織ることは重要な収入源でした。また、雪国の湿気と苧麻との相性は非常に良く、長い間麻織物は雪国の農家の生活を支えてきました。
機織りに適した雪国という立地
雪国でこれほどまでに麻織物の生産が盛んになった理由はいくつかあります。
まず、冬のしめった空気が機織りに適していて、糸が切れにくくなります。そして豪雪地帯ですと雪がたくさん降るので、布を雪でさらすという技法も重宝されました。雪が多く降る冬の期間は機織りという仕事は収入を得るための数少ない仕事ということもあり、古い時代からこのような土地を生かした技法にて越後上布を作り続けていたので、織物の技術が絶えず伝わっていたということもあります。
そして、当時の小千谷は交通の便がよく、原料や製品の輸送が便利でした。そのような歴史的背景も有り、時代とともに小千谷にも伝えられ、撚り糸を使いしぼを出す技法なども加わり、更に越後上布・小千谷縮は発展・流通していきました。
しぼのある麻織物の爽やかな肌触りは武士や裕福層の夏衣服として需要があり、知名度も広がっていったのだと考えられます。
小千谷縮・越後上布の歴史
江戸時代に入ると小千谷、十日町、堀之内には縮市が開かれ、全国から縮職人が訪れると、その人気と知名度は徐々に広がっていきました。
越後麻布は上級武士や大奥などで、夏の裃や帷子として愛用されます。江戸末期には年間20万反という生産量を誇りました。
明治~大正時代になると、原料を紡績糸に変えた小千谷縮も作られ始めました。その一方で、昭和に入ると戦争によって、ぜいたく品だとして生産が制限されました。70年ほど前の昭和25年、小千谷織物協同組合が作られ、商品化が進められました。
重要無形文化財の小千谷縮、越後上布
その後生産量は落ちていきましたが、この貴重な技術を後世に残すために、昭和30年に日本の織物では最初の重要無形文化財となりました。昔ながらの原料と作り方をするためとても希少な織物として認められたのです。昭和50年になると、原料糸に紡績糸を使った小千谷縮が通産省から伝統的工芸品に指定されました。現在は苧麻の生産がとても少ないため、重要無形分が会に指定されているものでなければ、フィリピンなどから輸入したラミー麻の紡績糸を使ってもよいことになっています。
そして、平成21年にはユネスコの無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にも登録。
現在保存協会の皆さんが懸命に守っている重要無形文化財の小千谷縮は年間で5反前後、越後上布が20反前後と大変貴重です。手積みの糸は細くつややかで、かつては天保銭の穴を通るほどの薄さの生地が作れるほどでした。
▲入手することが困難な重要無形文化財の小千谷縮と越後上布。
小千谷縮・越後上布 重要無形文化財指定条件
1,すべて苧麻を手積みした糸を使用すること
2,絣模様をつける場合は、手くびりによること
3,地機で織ること
4,シボとりをする場合は、小千谷縮は湯もみ、越後上布は足踏みによること
5,晒しは雪晒しによること
このように、大変厳しい認定条件が設けられていますが、小千谷縮や越後上布がすべて重要無形文化財というわけではありません。
重要無形文化財指定のものは苧麻から糸を手績みし、地機で織られますが近年では非常に少なくなりました。中には糸が重要無形文化財の指定条件を満たしていないものや、絣のない無地や縞のものといった、ほぼ同じ製法で作られている文化財以外のものもあります。現在はラミー糸(麻の紡績糸)で織ったものが主流です。
課題
生活様式が変化し、着物を着ることが少なくなったことと、比較的高価なことなどから小千谷縮等の生産量は年々減少していっています。その他、さまざまな課題があります。
まず、本来の原料である苧麻糸が手に入りにくくなっているため、輸入した麻糸を使わなければなりません。そして製品を買う問屋が、産地から遠い東京や関西方面にかたよっています。
近年では日本製に限らず韓国や中国から、安い輸入品が大量に入ってくるようになりました。
このような背景も有り、技術を受けつぐ若い人が少なくなっています。
しかし、一方で希少価値の高い越後上布や小千谷縮は、涼感のある着心地の良さや軽さ、そして扱いやすさからも現在でも人気の高い着物です。
小千谷縮
小千谷縮は「越後縮」とも呼ばれています。シャリ感のあるしぼが独特の風合いで着て涼しく、また見る人も涼やかさを感じる麻の着物です。
▲色柄が豊富で地風が爽やかなので夏の気軽な外出着として人気が高い小千谷縮。
作業工程と小千谷縮の技法
江戸初期、播州明石の堀次郎将俊が明石縮の技法を麻に応用し、緯糸に強い撚りをかけることで独特のしぼを生み出したのが始まりとされています。昔は農民の副業として特に冬に生産されていました。さまざまな模様がすべて緯糸で織りだされているのも特徴のひとつです。
小千谷縮の技法で有名なものは何といっても「湯もみ」と「雪晒し」です。
お湯の中で丹念に布を揉み込んでいく湯もみの作業により独特のシボが形成され、また雪晒しを行うことで布は色の鮮やかさと奥深さを増し、ふっくらとした生地に仕上がります。
小千谷縮は江戸時代に年間23万反の生産があり、当時の人気着物として憧れの織物であったと言われております。2009年にはユネスコ世界無形文化遺産登録されるなど国際的にも大きな評価を受けています。
小千谷縮の「しぼ」
越後上布
越後上布は、新潟県南魚沼市(旧塩沢町・六日町)に古くから伝わる平織りの麻織物。盛夏用の高級着尺地で、麻織物の最上級品として有名。
柄は絣や縞が主で、ごく薄手でシャリ感のある地風が特徴。精緻な仕事のなかに漂う気品のある素朴さが魅力です。
作業工程
糸はまず苧麻を爪で裂き、口に含みながら繋いでいきますが細く均一な糸を作るのは大変な作業です。一反分の糸を績むのはなんと三ヶ月以上掛かるとされています。細くてデリケートな糸は、昔ながらの地機で手織りして、三ヶ月かけて織り上げます。
織り上がった布は水洗い後、雪の上に布を広げて晒します。これを雪晒しと言い、越後上布独特の方法で色目が落ち着き、白はより白くなる効果があります。
また、越後上布の古来からの伝統技法は国の重要無形文化財に指定されています。
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written by TAKAHASHI
文化学部卒業後、和文化に興味を持ち地元の歴史ある企業・きもの永見で呉服の世界へ。 日々着物のことを学びながら皆様の「分からない」にお答えしていきます。